『無農薬 無肥料 自然農法』

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今年も私のもう一つの仕事が、今季終了して一息ついている今日この頃だ。
定年退職をして現在メインの仕事は、某老朽マンションのボイラー設備管理技術員をしている。
5月から11月中旬にかけて休日を利用し運動を兼ねて週に2回位、農業の手伝いをしている。
この素晴らしき農園は私の小学校の時の友人で不動産業の傍ら、この農園を10年試行錯誤の上、2人で営農している。
街の中で生まれ育った人間とたまたまある会で知り合った、道北の開拓農家の倅が同じ志を持って意気投合しタッグを組んで運営している。


今から3年前にお声が掛り、物珍しさと私の心にも思う気持ちもあり、取りあえず物見遊山の奉仕の軽い気持ちで出かけた訳である。

私も過去に食糧関係の小売業をしていたため、また現在の飽食の時代にあって、

『呑む前に飲む、食べる前に飲む』
なんで言うクダラナイ胃腸薬のCMもあるがとんでもない事がまかり通る世の中である。ヘルシーに豚肉の油落としをしましょうとか遣っているが、根本食べ過ぎなんだろうと思う。


さて良く巷で聞く自然農法とは一体何ぞやと思い、馳せ参じたのだった。

最初の年はビニールハウスの設営手伝いから始まり、各種の一般的な野菜作りを手伝った。
当初野菜をそれほど旨いと思った事ははっきり言ってなかった。
この無農薬無肥料の農法にこだわってひたすら最小限の機械を用い、開拓農家の倅の幼いころの父から教えに沿った事をもくもくとひたすら試行錯誤で迷いながら遣っている。今まで旨いと思うのは、やはり肉か魚であったがそれがである、
この農園で自分で汗水垂らして関わった、ジャガイモ、ニンジン、サツマイモが、嫌いな物が、有り難味を持って食べられる様になったのだった。
やはり関わって覗いてみて物の本質を一寸判ると頭が有りがたく、そしておいしく感じるのであろう。
いや本当にこの食物は奇跡の様な貴重な食べ物と化した。

種イモを植える時は今年の声掛けは『ありがとう』と声をかけて植えてくれと言う事自体気持ちが素晴らしいのである。
清々しい風景と綺麗な空気とほのぼのとした人との農作業は私にとって心洗われる体験であった。

何気ない農作業の会話の中にも人生訓がひしひしと感じられ、何か禅問答をしているかの様だ。その自然と暮す奥深さ人間臭さに私はすっかり魅了れたのだった。

私はいつも言葉は悪いが、フィットネスセンターのランニングマシーンに乗って得意げにランニングやリフティングしている人たちを家内には良く、『金を払って掛けっこしてるモルモット見たい。』と言っていた訳で、私は病気のリハビリなら納得出来るが健常者が金をわざわざ払ってあんな事(失礼)は決してやらないと思う。
そんなエネルギーが有れば、もっとエコに野山を自然に走ったり、山に登ったり、担いだりすれば良いと思うが人それぞれである。

この農場の流儀は無農薬、無肥料の完全自然農法だ。雑草を引っこ抜いてそれが堆肥となりまた来年作物に宿る事になる。
ここで取れる作物は少し小さめ、粒が揃わない、虫に喰われる量がかなり多い。
普通に見るとどうしてもこれで元が取れるのかと思うが友人曰く、自分の思い通りのやりか方で、作物が出来れば良いのだそうだ。
これからも動ける限り一人で続けて行くそうだ。私の様なシンパが数人日替わりで手伝いに来ている。これからも私も体の動く限りり愛車を駆って馳せ参じたい。