『オヤジとS660と零式艦上戦闘機』

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S660

去年、わが大地、北海道に英国の誇りスーパーマリンスピットファイヤーが飛来した。
航続距離が短い迎撃戦闘機として開発された機体である。
その流麗な姿態に思わずおじさん達は息を呑んでしまうのである。
結局大騒ぎして勤め先に予め休みを取得して準備万端整えたのでありました。
だが、IWCの世界一周の旅、やはりなにが起こるか判らないのである。
WEBサイトでリアルタイムに飛行経過が判るのも時代と思った。
何処をどう飛行してどこに着陸したのがすべてPC一つで判ってしまう素晴らしさと恐ろしさに恐れ入りましたである。
おおむね今回の1フライトは700㎞で安全飛行をした様だ。
天候や、入国審査等で思い通りの飛行とは行かないようだ。
大騒ぎしたものの、私は仕事となり、友人が臨時でスピットが着陸した千歳に雄姿を見に行きアブラゲをさらわれた格好になる。
あの銀色の英国のシルバースピットファイヤーは今回が日本本土初着陸と思う。
私の生きている間には二度と実物にはお目にかかれないだろう。

さて、スピットと比較すると、色々な本で読むと零式艦上戦闘機は増槽を付けると巡航で何と3000㎞可能らしい。
本当に実戦時はおしっこ垂れ流しの航続距離だったそうである。
戦中搭乗員が驚いてなんと酷い飛行機を作ってくれた、設計者を恨むと言った搭乗員も居たほど、嬉しくも、
過剰労働になるくらいのあきれた位の時間飛べた様である。
資源不足の中、国力と官民一体の工業力と技術と武士道精神の塊の様な賜物であったのだろう。
スピットファイヤーの容姿と負けず劣らず、日本的な初運用時の飴色の輝く華奢な美しい姿は、
これが戦闘機かと思うような佇まいで日本刀にも似た高貴な匂うような美しさは素晴らしい。

現在軽HONDA車に乗っている私は、今もスバリストを自負している。
前は、子供も小さく、親もともに暮らし、仕事を熟し、一台で家族を安全に可能な限り全天候で移動できアイデンティティがあるメーカー。
そしてマイナーなメーカーとして現在も飛行機を作っているとなると中島飛行機であり富士重工業とSUBARUを選定したのだった。

時が経ち親が鬼籍に入り子供達が巣立ち、夫婦二人で暮らすようになり仕事の愛機であったインプレッサも仕事が変わり通勤も車移動はなくなり、
インプレッサを手放してR2一台で過ごしてきた。

ところがやはり楽しい車が無いとさみしいのである。
都心部では駐車場も少なく、路上駐車もままならない。
公共交通機関も充実し、運動のためにも歩いてもどこでも行け不便はないはずであった。

そんな一寸物足りなさを感じた時、いよいよS660が制式発売されると聞き一機一式250万円、発動機は直列三気筒ミドシップ搭載、
搭乗員二名複座、制式燃料搭載量二十五L、前後輪異型タイヤ、オープンカーで屋根が幌布製(零式艦戦もエルロン等一部布張!)で
極め付けは世界に唯一の軽スポーツカーなのである。

一度もTVでお目にかかれない、WEBで観たその姿が目に焼き付いて離れなかった。
おまけに、お決まりの受注生産で、値引きはしない、すぐには手に入らない、ディーラーの営業も詳細は判らない販売体制だ。
まったく本当にベールに包まれた、開戦前の極秘の新型戦闘機の様なのである。

今までスバルも新車はディーラーに下取りの車で自分で受領しに行ったが、今も心はスバリストの私は偶然にも町内会の我が家の向かいの
HONDAカーズで徒歩1分に我が愛機を受領に行ったのだった。
そこには、初めて自分で新車を買った以来の喜びと感動の車があった。
出来れば、これが水平対向4気筒660CCだったらどんなにうれしいか? 
っと思ってしまう。バイクは嫌いな方だったが、本田総一郎は好きだった。HONDAイズム良いじゃないか、
そうだHONDAJETも一応一社で全てエンジンも機体も自社製だ。中島飛行機富士重工と似ているじゃないかとS660との夢の様な生活が
始まったのだった。

以下後日に続く。